2011年09月23日

 硬い殻にくるまった食品というのは、それをむく手間というのがうっとおしい。
 カニなどはその筆頭であって、食べればうまいとわかっていながら、「なんじゃ、このフルメタルジャケット状態は!」とぶつくさ申しながら、カニほじほじ(カニの身をほじくる道具です)をちまちまと動かしてみたりする。
 かといって、誰かが身だけにしてしまったものを食べるのは、悲しいくらいに味気ない。

 あるとき、山陰で松葉ガニ解禁ころに社用宴会に参列したことがあり、だいたいにおいて、そういう場合は酒飲んで騒いで歌ってというのが主眼だから、当然、目の前に横たわる松葉ガニの扱いは、解禁直後で貴重な初物だと言うのにおろそかになってしまい、可愛そうなことに、手付かずか、足の数本だけをいただいちゃってあとは放置状態で宴席が進行する。
 私も同じく、いい加減酔っぱらって「ま、いっか」とカニを横目で見つつ、水割りをおかわりすることに専念していた。

 そうしたら、宴席に花を添えていたコンパニオンさんが、「あら、むいてあげるから食べなさいよ」と申し出てくださり、さすが松葉ガニの地元のお嬢さん方とて、あっというまにむき身にしてくださった。
 「ありゃま、見事なお手前」と感心しつつ、小皿に盛られたカニの身を箸で一つまみ二つまみしたのだが、ああいうものって自分で手足や殻をむしりながら食べるというのも食感のうちだということに気が付いた。
 ただほぐされてしまった身だけを食べても味気ないのである。
 で、結局、ほとんど食べないで、酒だけ十二分に堪能して宴はおしまいとなった……今にして思えば、滅茶苦茶にもったいないことをしたもんである(苦笑。

 さて、松葉ガニは秋、そうして秋を代表するもう一つの殻ものといえば、
 家人が栗を好むがゆえに我が家では季節を迎えると間もなく、栗が茹でられて登場する。

栗

 どこ産の栗で、いかほどで贖ってきたものかは知らぬが、なかなかよい栗である。
 ただ……と手にその中の一つを持ち、じっと見つめながら、「殻をむくのが面倒だなあ」と心中で語る。
 栗は外側の固い装甲を脱がしても、渋い皮を身に着けており、七面倒くさいことカニ以上である。
 かといって、ある日のこと、家人がちまちまとむいて丸裸にしてくれたのを食べさせてもらったのだが、これもまた味気ないものであった。
 やっぱり自分でむく手間を持つというのは、大切なことなのだと悟った次第。
 よって、近頃はむくのもアレだからというので、包丁で二つに割り切り、中身を小さなスプーンでほじほじして食べることに決めた。
 きれいにむきたい私の嗜好からは外れる禁じ手ではあるが、どうせ二つ三つ食べれば十分なのだから、それでいいのだ

 殻の腹部に爪で割れ目を入れ、上下に指をそえて押しつぶすとぽろっと完全なる身だけが飛び出してくる、天津甘栗の販売戦略と言うものが、いかにすぐれたものであるかをいまさらながらに実感する秋であった。


栗

 こちらは先日、田村神社で拾ったドングリ。
 当然ながら食べられない。食べられる栗に対して、食べられない鈍な栗だから、ドングリって命名なんだろうか。


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