2012年01月11日
讃岐国 国分寺
昨日のこと、一宮さんへは先に参拝をすませたので、仏様のとこへも行っておかねばなるまいと、国分寺さんへとお参り。
信心深いわけでもないのに自社詣でとは内心忸怩たるものがあるが、気分の問題だ。
物心ついて以来、お寺お宮へは連れて行かれて、こうなってしもうたんだから……と別に言い訳する必要はないのだけれども。
山門をくぐり参道の松並木を見上げながら、本堂へと至る。

天平時代より今に至る堂宇の礎石が並ぶのを見て、諸行無常の響きが松籟とともに虚空を流れ去ってゆく。
正月ゆえに参拝者もいつもより多く見受けられ、新年早々のお遍路さん姿もいくたりか。
諸行は無常なれども、無常であるがゆえに、いついかなる時においても人は来たり、そして去ってゆく。
本堂でご本尊のご真言を唱えて、大師堂へと参る。

このお寺の大師堂は外観よりも中に入ってからの方が実に風情があって大好きなのだが、大師堂内は撮影禁止だ。
境内をゆるゆる散策しているだけで心落ち着く。
ここの風景は冬が似合う、そんな気がする。
信心深いわけでもないのに自社詣でとは内心忸怩たるものがあるが、気分の問題だ。
物心ついて以来、お寺お宮へは連れて行かれて、こうなってしもうたんだから……と別に言い訳する必要はないのだけれども。
山門をくぐり参道の松並木を見上げながら、本堂へと至る。

天平時代より今に至る堂宇の礎石が並ぶのを見て、諸行無常の響きが松籟とともに虚空を流れ去ってゆく。
正月ゆえに参拝者もいつもより多く見受けられ、新年早々のお遍路さん姿もいくたりか。
諸行は無常なれども、無常であるがゆえに、いついかなる時においても人は来たり、そして去ってゆく。
本堂でご本尊のご真言を唱えて、大師堂へと参る。

このお寺の大師堂は外観よりも中に入ってからの方が実に風情があって大好きなのだが、大師堂内は撮影禁止だ。
境内をゆるゆる散策しているだけで心落ち着く。
ここの風景は冬が似合う、そんな気がする。
Posted by MU-U at 07:24│Comments(0)
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