2012年05月08日
ある日の生肉
今でこそ、寿司や刺身は世界に知られる日本料理になったけれども、そうなる前のころは、「日本人は生で魚を食べる」というと、オットセイやシロクマの如く丸のままの魚を生でかぶりつく野蛮なイメージを想起されていたらしい。
いやしかし、いずこであったか、高松市内の海鮮料理の店でイイダコのおどり食いをしたときは、ばらばらにされつつも口に歯にへばりつきからみつく、その足の感触が生々しくて「確かに、これはちいとこば、野蛮といえば野蛮かな」なんて思ったものだ。
そのイイダコのおどりの味は、少しの甘さと生臭さ、そして、ほとんどは醤油とタレの味の記憶しかない。
そういうわけで、毎度毎度の前振りの長い我が文章である。
生の魚も野菜も何だって新鮮ならうまいのは当たり前だが、生肉だって実にうまい!
ところが、某一味の悲しさを通り越して立腹する以外にないやり様と結果から、生の肉に対する政府からの締め付けが極めて厳しくなるという。
生レバーなんて「違法です」とか……もうなっているんだっけ、もうすぐ立法化されるんだっけ?
悲しいことである。
それで少しばかり、いや、もうかなり前か、行きつけの焼肉屋さんへ出向き、生センマイと生レバーを堪能することにした。
今日はその思い出(?)を語ろう。

生センマイ。
あっさりさっぱりした味わい。タレもポン酢風。
こりこりとした歯ごたえと、ほんのわずかに漂う牛の反芻した牧草と唾液の香りが漂うのがまた、嬉しい。

生レバー。
やっぱり何といっても生肉食うなら生レバーにトドメをさす。
甘くてもっちりした食感に噛み切る際のいくばくかのこりっとした抵抗感。
ゴマ油がよく似合う。
一緒に行った妻は、こういうことには非常に慎重派なので、焼いたのしか食べなかったけど、まあ、そういう人生もありかとは思う。
今後がどうなるか、いや、今がどうなのか、少し前の食日記なのでわからないのがもどかしい。ここんとこ、焼肉屋さんへ出向くほどのフトコロ状態にないのが、嘆かわしい。
いやしかし、いずこであったか、高松市内の海鮮料理の店でイイダコのおどり食いをしたときは、ばらばらにされつつも口に歯にへばりつきからみつく、その足の感触が生々しくて「確かに、これはちいとこば、野蛮といえば野蛮かな」なんて思ったものだ。
そのイイダコのおどりの味は、少しの甘さと生臭さ、そして、ほとんどは醤油とタレの味の記憶しかない。
そういうわけで、毎度毎度の前振りの長い我が文章である。
生の魚も野菜も何だって新鮮ならうまいのは当たり前だが、生肉だって実にうまい!
ところが、某一味の悲しさを通り越して立腹する以外にないやり様と結果から、生の肉に対する政府からの締め付けが極めて厳しくなるという。
生レバーなんて「違法です」とか……もうなっているんだっけ、もうすぐ立法化されるんだっけ?
悲しいことである。
それで少しばかり、いや、もうかなり前か、行きつけの焼肉屋さんへ出向き、生センマイと生レバーを堪能することにした。
今日はその思い出(?)を語ろう。

生センマイ。
あっさりさっぱりした味わい。タレもポン酢風。
こりこりとした歯ごたえと、ほんのわずかに漂う牛の反芻した牧草と唾液の香りが漂うのがまた、嬉しい。

生レバー。
やっぱり何といっても生肉食うなら生レバーにトドメをさす。
甘くてもっちりした食感に噛み切る際のいくばくかのこりっとした抵抗感。
ゴマ油がよく似合う。
一緒に行った妻は、こういうことには非常に慎重派なので、焼いたのしか食べなかったけど、まあ、そういう人生もありかとは思う。
今後がどうなるか、いや、今がどうなのか、少し前の食日記なのでわからないのがもどかしい。ここんとこ、焼肉屋さんへ出向くほどのフトコロ状態にないのが、嘆かわしい。
Posted by MU-U at 19:05│Comments(0)
│酒池肉林