2014年10月09日

サツマイモの茎

 数年前に亡くなった私の叔父は、サツマイモカボチャが嫌いで食べられなかった。なぜかというに、戦中戦後の食糧難の時代に嫌というほど食べさせられたせいで、拒絶反応を起こすようになったという。
 それに似た話は当時を知る人からよくうかがうことがある。「サツマイモの芋ならいいが、茎まで食べさせられた」と、確か我が母も語っていたっけか。
 芋の茎を食べるなど想像もつかないから、ただ「悲惨な時代だったんだなあ」と思うことしかできぬ、飽食の現代に生きる私などは、昔日の苦労を乗り越えて今の日本を築き上げた先人たちの労苦を偲ぶのみである。

 それがある時、同じく戦中戦後派の漫画家である東海林さだお氏のエッセイを読んでいたら、今にしてサツマイモの茎を食する経緯が書かれてあった。細かいことは忘れたが、茎は茎でもツル部分でなくて、葉の茎をたしか炒めたものを作って、「意外と旨い」との感想が記されていたように思う。
 こないだ、それを思い出して、実験してみた。

 まずは、畑に延びた芋のツルを収獲(?)し、葉の茎だけを切り取り選り分ける。そして、それを適当に切りそろえて、油を熱したフライパンに放り込む。そして火がよく通るまで炒めて、味付けは塩のみとした。お皿に盛って出来上がり。

サツマイモの茎

 一見、普通のキンピラないし炒めもの風に仕上がっている。
 食す。
 うーん。ちょっとスジっぽくて固い。でも不味くはない。いやしかし、美味しくもない。

 どう表現していいものか? とりあえず皿に盛り上がったのを一人でちまちまと食べながら、「このスジ部分は多分、私の胃腸では消化しきれないだろう」てなことを考えた。3分の2くらいまでを腹中に収めてギブアップ。
 これが毎日続くと、なるほどつらくはあろう。それを経験した方々の労苦を思うばかり。

 今に生きる幸せを、ずっと「腹 減った」とばかりにあれこれ食い散らかして過ごせること、ただそれだけしかなくっても感謝せねばならんと思った経験ではあった。



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この記事へのコメント
芋の茎の、皮?スジ?をとって下茹でしてアクをとったら、お揚げやジャコ天と甘辛く煮付けるととても美味しくなりますよ。高知では普通にごはんのお惣菜で出てきますヾ(´・∀・)
Posted by ゆか at 2014年10月19日 01:51
そうなんですか。
でも、あの細くて大量の茎から皮・スジを取る手間を考えると気が遠くなりそうです。
「下茹で」までは気が回りませんで、今度やってみましょう(もう来年になるけど)。
教えてくださってありがとうございます。
Posted by MU-UMU-U at 2014年10月19日 18:00
 
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    コメント(2)