2015年09月23日
また納豆かよ
タイトルはオノレに対する罵詈雑言に近しい諦観の表現であって、夕食前のお酒のいち二杯からはじめて、三杯四杯五杯六杯と続く孤独酒(この場合、「ひとりざけ」とルビふりたい)の肴として、ほぼ毎日続いている納豆食いに対する敗北感にも似た愛着への表現なのであった。
ご理解いただきたい。
納豆と味噌と、時おり板わさが、我が酒肴としてのオードブルの定番となって、もう何ヵ月たつのかしらん。
飲みはじめて一番最初に口にするのは味噌だけれどね。味噌とちびちびと箸先に挟んでねぶりながら夜の酒ははじまる。
そして納豆パックをこねる。
納豆は「こねる」ものなのか?「混ぜる」ものなのか?と、どうでもいいことを考えつつ、我が作業は言語的には「こねる」が正解だろうと勝手に納得して、そんなことはどうでもよくなって、ただ食べる。

「いじましくもあるのう」と我れと我が身を鑑みつつ、こういう作法に慣れ切ってしまったものだから、最近は、仕事帰りに「ちょいと居酒屋へ」なんて事態が激減してしまったよ。
味噌と納豆恐るべしである(当社比)。
ご理解いただきたい。
納豆と味噌と、時おり板わさが、我が酒肴としてのオードブルの定番となって、もう何ヵ月たつのかしらん。
飲みはじめて一番最初に口にするのは味噌だけれどね。味噌とちびちびと箸先に挟んでねぶりながら夜の酒ははじまる。
そして納豆パックをこねる。
納豆は「こねる」ものなのか?「混ぜる」ものなのか?と、どうでもいいことを考えつつ、我が作業は言語的には「こねる」が正解だろうと勝手に納得して、そんなことはどうでもよくなって、ただ食べる。

「いじましくもあるのう」と我れと我が身を鑑みつつ、こういう作法に慣れ切ってしまったものだから、最近は、仕事帰りに「ちょいと居酒屋へ」なんて事態が激減してしまったよ。
味噌と納豆恐るべしである(当社比)。
2015年09月22日
雲辺寺さん
昨日、世間的にはシルバーウィークなる連休の真っ最中なのだが、私にとっては、二日間の休日の終わる日であった(とまあ、ひがみ根性極まれりではある。連休なんてなしで働いていらっしゃる方もおろうに、このぶざまさが私の本性)。
とまれ(何かの書き間違いでなくて、「とまれ」とは「ともあれ」の転じたもので、「とにかく」の意ですって、何でこんな説明をしてんだか、私)、【源平うどん】で腹ごしらえしてから、西インターから高速に乗って雲辺寺さんを目指した。
ロープウェイで楽するか、山のうねうねと曲がり曲がりゆく細道をクルマで登るか、悩んだのだけど、我が娘が発した「クルマ」の一言で、県道6号線から「六地蔵越え」を経て県境を越えて向かうことと相成り候。
狭い山道で対向車に気をつかうが、ほんの数台とすれ違ったのみ。それにしても深い山だ、と頂上あたりを見上げつつ。
ようやく着いた雲辺寺さん。
参道の維持管理費用として、乗用車は500円を支払う。その代わりに、南天の枝で作られた縁起の良いお箸をいただいた。
この前に訪れたのは、いつだったのか。

この山門(仁王門)は、まだできていなかったころだっけか。
大師堂が新築なったばかりという記憶はあるが……、いや、建築中だっけか、記憶あやふや。

クルマで登って来ると本当は上の画像が最初に見ることができる堂宇の姿(画像向かって左の道を駐車場から登る)。坂道の先に見える建屋が本堂。これも新しい。いつできたんだろう?
本堂と大師堂で般若心経を唱えるつもりだったのが、経文を書いた紙片をクルマの中に置き忘れてしまっていた。ソラである程度は唱えられるのだが、途中、記憶に自信の欠如する箇所があるので、あきらめて拝むのみ。
それにしても深山の寺は気持ちがよいぞ!
心洗われる心地なり。
帰りは阿波池田へと降りる道を選んだ。
こっちの方がず広くてらくちんな道だった。
とまれ(何かの書き間違いでなくて、「とまれ」とは「ともあれ」の転じたもので、「とにかく」の意ですって、何でこんな説明をしてんだか、私)、【源平うどん】で腹ごしらえしてから、西インターから高速に乗って雲辺寺さんを目指した。
ロープウェイで楽するか、山のうねうねと曲がり曲がりゆく細道をクルマで登るか、悩んだのだけど、我が娘が発した「クルマ」の一言で、県道6号線から「六地蔵越え」を経て県境を越えて向かうことと相成り候。
狭い山道で対向車に気をつかうが、ほんの数台とすれ違ったのみ。それにしても深い山だ、と頂上あたりを見上げつつ。
ようやく着いた雲辺寺さん。
参道の維持管理費用として、乗用車は500円を支払う。その代わりに、南天の枝で作られた縁起の良いお箸をいただいた。
この前に訪れたのは、いつだったのか。

この山門(仁王門)は、まだできていなかったころだっけか。
大師堂が新築なったばかりという記憶はあるが……、いや、建築中だっけか、記憶あやふや。

クルマで登って来ると本当は上の画像が最初に見ることができる堂宇の姿(画像向かって左の道を駐車場から登る)。坂道の先に見える建屋が本堂。これも新しい。いつできたんだろう?
本堂と大師堂で般若心経を唱えるつもりだったのが、経文を書いた紙片をクルマの中に置き忘れてしまっていた。ソラである程度は唱えられるのだが、途中、記憶に自信の欠如する箇所があるので、あきらめて拝むのみ。
それにしても深山の寺は気持ちがよいぞ!
心洗われる心地なり。
帰りは阿波池田へと降りる道を選んだ。
こっちの方がず広くてらくちんな道だった。
2015年09月21日
源平うどん 一宮店
私のシルバーウィークは今日で終わり。長い人なら5日間あるはずだから、そのうちの2日間しかない私の連休はシルバーとも言えないわけで、とりあえずカッパー(銅)くらいにしておくか。私程度にも休むこともできずにずっと働いていらっしゃる方も多いから、これ以上は何も申すべきではあるまいて。
ともかくも「こういう状況だからして、今日くらいは家族そろってどっかへ出かけるべえ」という訳で、西の方、雲辺寺さんへ詣でようということになり、昼少し前にクルマで出かけた。
お昼前に出かけたので、途中でうどん屋さんで昼食をとることにして、「有名店は混んでおるじゃろ」と私が時おりこっそりと訪れている(特に「こっそりする」必要はないのだけれども)、昔ながらの小さな一般店に向かったら、そんなお店まで県外ナンバーのクルマで駐車場が埋まっててあきらめた。
うどんブームはもうブームの時期を通り過ぎて、定番商品になっちまったらしい。喜ぶべきか悲しむべきか、ま、どっちでもいい。
西インターから高速に乗る予定だったので、そっち方面へとクルマを走らせたら、【源平うどん 一宮店】に至り、駐車場にいくばくかの空きがあったので、ここで昼食をと。
店内には何人かの行列ができていたけど、セルフなんだからすぐにうどんにありつけるに違いないという理屈で、最後尾に並ぶ。
予想通りにさして待つこともなく、注文口に到着。
秋はじまりし季節とはいえ、まだ少しく夏の名残りもあり、ひやかけがよろしからんかと思うて、小(220円)を注文。ついでに、エビ天(120円)とゲソ天(130円)を選んで、都合470円(税込)。
ひやかけゆえか、時間帯ゆえか、麺は出来立ち。ありがたし。
天ぷらの値段は記憶違いがあるかもしれない。何せ家族全員のをまとめて払ったから、混同もありましょうて。間違っていたらごめんなさい。

セルフの薬味は、カツブシとショウガと天かすとネギと、そして、小梅漬け。
小梅の存在が何とも嬉しい。うどんのダシと梅干しは、「富士には月見草がよく似合う」以上に、ベストマッチだと私は思う。
うどんを一気にすすりこみ、天ぷらをがしがしと咀嚼して、ごちそうさまにございました。
よき店なり。
我が家族は私がうどんを食う速度にはついてこれないので(私の倍の時間はかかりますな)、先に店外に出てからしばし待ち、一同そろって雲辺寺さんへと出発。
ともかくも「こういう状況だからして、今日くらいは家族そろってどっかへ出かけるべえ」という訳で、西の方、雲辺寺さんへ詣でようということになり、昼少し前にクルマで出かけた。
お昼前に出かけたので、途中でうどん屋さんで昼食をとることにして、「有名店は混んでおるじゃろ」と私が時おりこっそりと訪れている(特に「こっそりする」必要はないのだけれども)、昔ながらの小さな一般店に向かったら、そんなお店まで県外ナンバーのクルマで駐車場が埋まっててあきらめた。
うどんブームはもうブームの時期を通り過ぎて、定番商品になっちまったらしい。喜ぶべきか悲しむべきか、ま、どっちでもいい。
西インターから高速に乗る予定だったので、そっち方面へとクルマを走らせたら、【源平うどん 一宮店】に至り、駐車場にいくばくかの空きがあったので、ここで昼食をと。
店内には何人かの行列ができていたけど、セルフなんだからすぐにうどんにありつけるに違いないという理屈で、最後尾に並ぶ。
予想通りにさして待つこともなく、注文口に到着。
秋はじまりし季節とはいえ、まだ少しく夏の名残りもあり、ひやかけがよろしからんかと思うて、小(220円)を注文。ついでに、エビ天(120円)とゲソ天(130円)を選んで、都合470円(税込)。
ひやかけゆえか、時間帯ゆえか、麺は出来立ち。ありがたし。
天ぷらの値段は記憶違いがあるかもしれない。何せ家族全員のをまとめて払ったから、混同もありましょうて。間違っていたらごめんなさい。

セルフの薬味は、カツブシとショウガと天かすとネギと、そして、小梅漬け。
小梅の存在が何とも嬉しい。うどんのダシと梅干しは、「富士には月見草がよく似合う」以上に、ベストマッチだと私は思う。
うどんを一気にすすりこみ、天ぷらをがしがしと咀嚼して、ごちそうさまにございました。
よき店なり。
我が家族は私がうどんを食う速度にはついてこれないので(私の倍の時間はかかりますな)、先に店外に出てからしばし待ち、一同そろって雲辺寺さんへと出発。
2015年09月20日
大島製麺 かけうどん
いつの間にやら「シルバーウィーク」なんて言葉ができて嫌な感じ(笑。
さすがに5連休とはいかないが、私とて今日は休みメタのだから、文句は言わない……あれ、今日は日曜日でいつも通りの休日なのであった。まあ、明日は真の休日なんだから、善しとしよう(明後日は仕事だ)。
そういう愚痴はともかく、休日の午後、久しぶりに我が家から一番近いうどん屋であります【大島製麺】様へ出かけた。
近いんだけど駐車場が狭いのが難点であって、年に数度しか行かないのでありまして、「ごめんなさい」。
お邪魔したのは今年2度目かな。
かけ(小)にちくわ天で280円なり。
基本的に完全セルフの店なのだけれども、今日はセルフ棚にうどんもそばも中華麺も置かれてなかったので、厨房(というのか)に声をかけて、どんぶりにうどんを入れてもらった。
そしたら、いわゆる「できだち」の麺。
麺がきらきら光ってる。
「温めるか」、「そのままやるか」で一瞬悩んだのち、ちょいとだけ、湯通しをしてダシをかけて、ちくわ天を乗っけて、お勘定。
そして食う。

薬味は天かすとネギと一味。
天ぷらを乗っけてるんだから今さら天かすも必要なかろうかと思いつつ、あるからにはいれねばならぬとの貧乏性。
ネギがまた、みずみずしいほどの新鮮さを保っており、これまた好感。
できだちの麺に文句があろうはずがない。
おいしくいだたきまして、ごちそうさまでした。
さすがに5連休とはいかないが、私とて今日は休みメタのだから、文句は言わない……あれ、今日は日曜日でいつも通りの休日なのであった。まあ、明日は真の休日なんだから、善しとしよう(明後日は仕事だ)。
そういう愚痴はともかく、休日の午後、久しぶりに我が家から一番近いうどん屋であります【大島製麺】様へ出かけた。
近いんだけど駐車場が狭いのが難点であって、年に数度しか行かないのでありまして、「ごめんなさい」。
お邪魔したのは今年2度目かな。
かけ(小)にちくわ天で280円なり。
基本的に完全セルフの店なのだけれども、今日はセルフ棚にうどんもそばも中華麺も置かれてなかったので、厨房(というのか)に声をかけて、どんぶりにうどんを入れてもらった。
そしたら、いわゆる「できだち」の麺。
麺がきらきら光ってる。
「温めるか」、「そのままやるか」で一瞬悩んだのち、ちょいとだけ、湯通しをしてダシをかけて、ちくわ天を乗っけて、お勘定。
そして食う。

薬味は天かすとネギと一味。
天ぷらを乗っけてるんだから今さら天かすも必要なかろうかと思いつつ、あるからにはいれねばならぬとの貧乏性。
ネギがまた、みずみずしいほどの新鮮さを保っており、これまた好感。
できだちの麺に文句があろうはずがない。
おいしくいだたきまして、ごちそうさまでした。
2015年09月19日
カツオのたたき
「目に青葉 山ほととぎす 初鰹」の季節なんて、とおに過ぎてしまい、カツオ業界(なんてものがあるのならの話だが)では、初夏の上りガツオに対する秋の戻りガツオの季節である。
初ガツオなんて江戸時代は、何とやらを質に入れてでもなんて言われたほどに、江戸時代の江戸っ子連中ははありがたがったらしいが、平成の凡人たる私には初ガツオのどこに狂乱すべき論点ないしは、観点があったというのか、まったくもって謎だ。
粋?
食いもん相手に、粋だとか、粋じゃないとか、どうでもいいことを云々する情緒及び、思考回路が私にはありゃしない。
ともかくも、何だかんだ言って私はカツオが好きだ。
たたきには目がない。
それをご理解くださっている妻が月に一二度は夕食にテーブルに、カツオのたたきを供してくれる。それが嬉しい。
初夏の上りガツオに対して、今頃の戻りガツオは北の海でたらふく食って脂がのっててとかいうけど、そこいら辺のスーパーの鮮魚売り場で買う、出来合いのカツオのたたきなんて、上か下か、行きか戻りか、なんてわかりゃしない。
技術の進化により、私程度の凸凹舌の味蕾では、とれとれなのか、冷凍なのか、判断つかないもの。特にたたきに加工されたら、それはもう闇の中。
だから何も考えずに食べる。

薬味は大量の玉ねぎスライスと翌日の呼吸活動が気になるほどのニンニク、それだけ。大葉やらも欲しいところだが。
付属のツユがあればそれでいただくが、今回はスダチ絞って醤油少々。
マグロの話のときにも書いたけど、カツオのたたきも酒に合い飯に合う。私、大好物。
カツオのたたきという調理法の由来にはいろいろあるらしいが、私としては、足の速い(すぐに生臭くなる)カツオの身味を外身を火であぶって膜を作り、内側のカツオ特有のもっちりとした新鮮さを保つために生まれたのではないかと、勝手に考えている。
初ガツオなんて江戸時代は、何とやらを質に入れてでもなんて言われたほどに、江戸時代の江戸っ子連中ははありがたがったらしいが、平成の凡人たる私には初ガツオのどこに狂乱すべき論点ないしは、観点があったというのか、まったくもって謎だ。
粋?
食いもん相手に、粋だとか、粋じゃないとか、どうでもいいことを云々する情緒及び、思考回路が私にはありゃしない。
ともかくも、何だかんだ言って私はカツオが好きだ。
たたきには目がない。
それをご理解くださっている妻が月に一二度は夕食にテーブルに、カツオのたたきを供してくれる。それが嬉しい。
初夏の上りガツオに対して、今頃の戻りガツオは北の海でたらふく食って脂がのっててとかいうけど、そこいら辺のスーパーの鮮魚売り場で買う、出来合いのカツオのたたきなんて、上か下か、行きか戻りか、なんてわかりゃしない。
技術の進化により、私程度の凸凹舌の味蕾では、とれとれなのか、冷凍なのか、判断つかないもの。特にたたきに加工されたら、それはもう闇の中。
だから何も考えずに食べる。

薬味は大量の玉ねぎスライスと翌日の呼吸活動が気になるほどのニンニク、それだけ。大葉やらも欲しいところだが。
付属のツユがあればそれでいただくが、今回はスダチ絞って醤油少々。
マグロの話のときにも書いたけど、カツオのたたきも酒に合い飯に合う。私、大好物。
カツオのたたきという調理法の由来にはいろいろあるらしいが、私としては、足の速い(すぐに生臭くなる)カツオの身味を外身を火であぶって膜を作り、内側のカツオ特有のもっちりとした新鮮さを保つために生まれたのではないかと、勝手に考えている。
2015年09月18日
納豆
納豆というのは、なにゆえに白い発泡ポリエチレン(だっけか)のパックに入っているのだろう。
パックのまま、かき混ぜたおす(そうしないと美味しくならないし)時に箸の先がパックを傷つけてしまいそうで気をつかう。白い合成樹脂の切れっぱしの入った納豆なんて食べたくもない。かといって、まずは力強くかき混ぜ、さらにタレや辛子やその他薬味を入れたのちに、これでもかとかき混ぜて食すのが納豆だと思い込んでいるゆえに……。
パックの破壊が怖いです。
小皿に取ってからやれば何の心配もないのだが、かつてはそうやっていたのだが、今は面倒くさいのでメーカーがセットしたままの状態でかき混ぜてかき混ぜて……。
まあ、今のところ、パックを壊すほどにやらかした経験は皆無なのだが。
さて、世間一般に納豆といえば炊き立てご飯の友みたいな存在ではあるものの、私は、あのねばねばがご飯に混ざるとご飯粒がぬるぬると口腔内ですべって十二分に咀嚼できないという観点から、「ご飯の友、納豆」を否定する立場にある。
だから酒の肴でいただく。

パックのままかき混ぜたブツは色も素っ気もないよなあとは思いつつ、いつもはこんな感じ。
気が向いたら、チリメンジャコやらゴマやら、それから、ニンジンや大根みたく生で食べられる野菜類を小さく切ったのや、何やかにやで増量して楽しむこともある。
酔っ払いには面倒くさいので最近はご無沙汰しているけど。
かき混ぜたおした納豆を食べながら焼酎の水割りなどを飲むと、胃壁にアルコールの刺激による負担が軽減されるような気が、私はする。
パックのまま、かき混ぜたおす(そうしないと美味しくならないし)時に箸の先がパックを傷つけてしまいそうで気をつかう。白い合成樹脂の切れっぱしの入った納豆なんて食べたくもない。かといって、まずは力強くかき混ぜ、さらにタレや辛子やその他薬味を入れたのちに、これでもかとかき混ぜて食すのが納豆だと思い込んでいるゆえに……。
パックの破壊が怖いです。
小皿に取ってからやれば何の心配もないのだが、かつてはそうやっていたのだが、今は面倒くさいのでメーカーがセットしたままの状態でかき混ぜてかき混ぜて……。
まあ、今のところ、パックを壊すほどにやらかした経験は皆無なのだが。
さて、世間一般に納豆といえば炊き立てご飯の友みたいな存在ではあるものの、私は、あのねばねばがご飯に混ざるとご飯粒がぬるぬると口腔内ですべって十二分に咀嚼できないという観点から、「ご飯の友、納豆」を否定する立場にある。
だから酒の肴でいただく。

パックのままかき混ぜたブツは色も素っ気もないよなあとは思いつつ、いつもはこんな感じ。
気が向いたら、チリメンジャコやらゴマやら、それから、ニンジンや大根みたく生で食べられる野菜類を小さく切ったのや、何やかにやで増量して楽しむこともある。
酔っ払いには面倒くさいので最近はご無沙汰しているけど。
かき混ぜたおした納豆を食べながら焼酎の水割りなどを飲むと、胃壁にアルコールの刺激による負担が軽減されるような気が、私はする。
2015年09月17日
秋刀魚 サンマ
秋刀魚といえば、秋。
秋刀魚といえば、小津安二郎の名作映画『秋刀魚の味』。
秋刀魚といえば、佐藤春夫の詩「さんま、さんま、さんま苦いかしょっぱいか。」というしょぼくれたオヤジの話。
秋刀魚といえば、ひところはやった「サンマー麺」を秋刀魚の入ったラーメンかと勘違いしてしまったのは、私。
秋刀魚といえば、結局のところ、塩して焼いたのに大根おろしとスダチをそえて、醤油少々でいただくのが一番と、これも私。
そして、秋刀魚。

落語の『目黒の秋刀魚』じゃないけれども、きれいに焼き上げるのより、表面に焦げ目ができてプシプシ音を立てている焼きたてが美味い。
お酒にも合わなくはないけれども、やはり、ご飯と一緒が秋刀魚の醍醐味というものか。
昔は腹わたまでホジホジして、それこそ「苦いかしょっぱいか」の肝までいただいていたのだけれども、最近は面倒くさくなって、取りやすく食べやすい背の身を食べると、残りは気が向いたらちまちまと箸を向かわせるのみ。
状況的にも才能的にも私は佐藤春夫にだけはなれそうにない。
塩焼き一番と書きながらも、秋刀魚は刺身も美味い。
刺身で食べられる秋刀魚が売られていたら、これはもう買うしかない!
秋刀魚といえば、小津安二郎の名作映画『秋刀魚の味』。
秋刀魚といえば、佐藤春夫の詩「さんま、さんま、さんま苦いかしょっぱいか。」というしょぼくれたオヤジの話。
秋刀魚といえば、ひところはやった「サンマー麺」を秋刀魚の入ったラーメンかと勘違いしてしまったのは、私。
秋刀魚といえば、結局のところ、塩して焼いたのに大根おろしとスダチをそえて、醤油少々でいただくのが一番と、これも私。
そして、秋刀魚。

落語の『目黒の秋刀魚』じゃないけれども、きれいに焼き上げるのより、表面に焦げ目ができてプシプシ音を立てている焼きたてが美味い。
お酒にも合わなくはないけれども、やはり、ご飯と一緒が秋刀魚の醍醐味というものか。
昔は腹わたまでホジホジして、それこそ「苦いかしょっぱいか」の肝までいただいていたのだけれども、最近は面倒くさくなって、取りやすく食べやすい背の身を食べると、残りは気が向いたらちまちまと箸を向かわせるのみ。
状況的にも才能的にも私は佐藤春夫にだけはなれそうにない。
塩焼き一番と書きながらも、秋刀魚は刺身も美味い。
刺身で食べられる秋刀魚が売られていたら、これはもう買うしかない!
2015年09月16日
ビンナガマグロ
寿司職人が題材の漫画を読んでいたら、寿司ネタには絶対と断定していいほどに欠かせないマグロ(この場合、本マグロとかクロマグロとか呼ばれている種類のマグロです)は、夏に産卵期を終えており、したがって夏のマグロはうまくないのだと書いてあった。
だからといって、夏だとてマグロを供さねば寿司屋とも言い難しであって、どうするかといえば、冷凍もあり、インド洋のミナミマグロ(だっけ課)とか、南半球の産物とか、何とでもなるのが、今日の流通のものすごさという次第で、それでも、だめならビンナガがあると書いてあったか、いなかったか忘れた(笑)。
そういう与太はともかく、マグロは好きだ。
特に赤身は、酒に合い寿司に合い飯に合う。
なお、私はトロは嫌いだ(あはは。
昨日の夜、妻がマグロの刺身を出してくれたので、喜びながらも、色合いが赤身にしては赤が淡いような、かといって、トロないし中トロというには脂っ気がないしというわけで、尋ねたら「ビンナガよ」という答えが返ってきた。
「やっぱり」という気はしたが、なーに、私にはビンナガで十分だ。

ただ、三切れだけでなくて、もっと食べたかった・・・。
だからといって、夏だとてマグロを供さねば寿司屋とも言い難しであって、どうするかといえば、冷凍もあり、インド洋のミナミマグロ(だっけ課)とか、南半球の産物とか、何とでもなるのが、今日の流通のものすごさという次第で、それでも、だめならビンナガがあると書いてあったか、いなかったか忘れた(笑)。
そういう与太はともかく、マグロは好きだ。
特に赤身は、酒に合い寿司に合い飯に合う。
なお、私はトロは嫌いだ(あはは。
昨日の夜、妻がマグロの刺身を出してくれたので、喜びながらも、色合いが赤身にしては赤が淡いような、かといって、トロないし中トロというには脂っ気がないしというわけで、尋ねたら「ビンナガよ」という答えが返ってきた。
「やっぱり」という気はしたが、なーに、私にはビンナガで十分だ。

ただ、三切れだけでなくて、もっと食べたかった・・・。
2015年09月15日
秋の酒
嗚呼!もう秋である。
朝晩の肌寒さと言ったらどうだ?
平年の9月初旬なれば、いまだ残暑厳しくあるはずなのに、今年の季節の走馬燈は一気掛けにて回る回る。
もうタオルケット1枚では眠れない、寒くてさ(ちなみに私は驚異的な寒がりである)。
というようなことは、おいといて。
秋といえば酒だ。
酒など、一年中飲んでるけど、この際は「秋といえば酒なのだ」と声を大にしよう。
仕事から帰ってテレビなどつけず、FM放送などを静かに聞きながら、焼酎水割りをちびりちびりとやりはじめる。何杯か飲んだら、ご飯にしてもらう。
ご飯までは何も食べないで、ちびちびやるのが私の飲みはじめのスタイルだったのが、最近はふと思いついて、味噌を小皿に取り少しずつなめながらとか、蒲鉾を薄切りにしてワサビの板わさ風で食べたりとか、いわゆる、「蕎麦屋で酒を」の風味を楽しんでいる。
酒と味噌は焼酎によく似合う。板わさも同じ。
ほんとの蕎麦屋の酒飲みは日本酒の吟味されたのを冷やでというものなんだろうが、私は池波正太郎氏でないので気にしない。
そもそもお江戸の本式の老舗の蕎麦屋で、そんな酒の飲み方なんてしたら、今、私が自宅でやってるのの10倍の費えになるだろう(あはは。

そして画像のように私がいただく味噌は、ただの味噌。蕎麦味噌なんて気の利いたもんじゃなくて、パックから出しただけの麦味噌。
少し前までは、その味噌を小皿によそっていたのだが、最近は面倒くさいのでスプーンですくったそのままを皿に乗っけてる。
味噌汁の素材としてはあまり好きじゃなかった麦味噌だが、酒のちびちびアテにはいい味だ。
スプーン一杯の味噌をなめつくしたので、「次は板わさにするか」と思って冷蔵庫を開けたら、納豆が目についてしまったので、今宵の酒は納豆にて続き……。
朝晩の肌寒さと言ったらどうだ?
平年の9月初旬なれば、いまだ残暑厳しくあるはずなのに、今年の季節の走馬燈は一気掛けにて回る回る。
もうタオルケット1枚では眠れない、寒くてさ(ちなみに私は驚異的な寒がりである)。
というようなことは、おいといて。
秋といえば酒だ。
酒など、一年中飲んでるけど、この際は「秋といえば酒なのだ」と声を大にしよう。
仕事から帰ってテレビなどつけず、FM放送などを静かに聞きながら、焼酎水割りをちびりちびりとやりはじめる。何杯か飲んだら、ご飯にしてもらう。
ご飯までは何も食べないで、ちびちびやるのが私の飲みはじめのスタイルだったのが、最近はふと思いついて、味噌を小皿に取り少しずつなめながらとか、蒲鉾を薄切りにしてワサビの板わさ風で食べたりとか、いわゆる、「蕎麦屋で酒を」の風味を楽しんでいる。
酒と味噌は焼酎によく似合う。板わさも同じ。
ほんとの蕎麦屋の酒飲みは日本酒の吟味されたのを冷やでというものなんだろうが、私は池波正太郎氏でないので気にしない。
そもそもお江戸の本式の老舗の蕎麦屋で、そんな酒の飲み方なんてしたら、今、私が自宅でやってるのの10倍の費えになるだろう(あはは。

そして画像のように私がいただく味噌は、ただの味噌。蕎麦味噌なんて気の利いたもんじゃなくて、パックから出しただけの麦味噌。
少し前までは、その味噌を小皿によそっていたのだが、最近は面倒くさいのでスプーンですくったそのままを皿に乗っけてる。
味噌汁の素材としてはあまり好きじゃなかった麦味噌だが、酒のちびちびアテにはいい味だ。
スプーン一杯の味噌をなめつくしたので、「次は板わさにするか」と思って冷蔵庫を開けたら、納豆が目についてしまったので、今宵の酒は納豆にて続き……。
2015年09月10日
鍋焼きうどん
今年の夏は暑かったのか、さもかなったのか。よくわからん。
でも、なんだかとっても、鍋焼きうどんが恋しい夏だった。
そういうわけで、【さぬき一番】の鍋焼きうどん。680円(だっけか)。
鍋焼きうどんなんて食べるのは何年ぶりだろう(アルミパックのそやつは除く)。

上から見た目がもやしと蒲鉾だけみたいだが、中には玉子あり、牛肉ありの素敵な構成。
でも、もうちょっと秋が深まってから食べるのがよかったかもと、自分勝手な思い。まだ、ざるとか冷やしでもよかったかと思う時節柄……。
これは私の単なるわがまま。
ともかくも、ごちそうさまでした。
でも、なんだかとっても、鍋焼きうどんが恋しい夏だった。
そういうわけで、【さぬき一番】の鍋焼きうどん。680円(だっけか)。
鍋焼きうどんなんて食べるのは何年ぶりだろう(アルミパックのそやつは除く)。

上から見た目がもやしと蒲鉾だけみたいだが、中には玉子あり、牛肉ありの素敵な構成。
でも、もうちょっと秋が深まってから食べるのがよかったかもと、自分勝手な思い。まだ、ざるとか冷やしでもよかったかと思う時節柄……。
これは私の単なるわがまま。
ともかくも、ごちそうさまでした。